女優の木村多江さんは、21歳の時に父親を亡くしています。
木村多江さんは、父の死は自分のせいだと感じ、立ち直るのに10年かかったといいます。
木村多江さんの父親の死因は何だったのでしょうか?
なぜ木村多江さんが責任を感じた理由が気になります。
この記事では、木村多江さんの父親の死因は何?木村多江さんが責任を感じて悩んだ理由を調べました。
木村多江の父親の死因は一体何?
木村多江さんの父親の死因は公表されていません。
木村多江さんが21歳のとき、父親がある日突然倒れてしまい、その1週間後に他界してしまいました。
急な出来事だったということから、父親はすぐに亡くなるような病を患っていたわけではなく、急死だったことがわかります。
急死の原因として多いのは、この2つです。
- 心臓の病気
- 脳の病気
※両方発症するケースもあり
亡くなったときの父親の年齢は49歳でした。
最近では、俳優の中村靖日さんが51歳で急性心不全により急逝しましたね。
元プロ野球選手の木村拓也さんは、2010年にシートノック中に突如倒れて、搬送後クモ膜下出血と診断されました。
そのまま意識が戻ることはなく、37歳の若さで息を引き取っています。
木村多江さんの父親も、何の前触れもなく突然倒れたのだとしたら、心臓か脳の疾患が原因だった可能性が高いです。
木村多江が父の死で自責の念に駆られた理由!
木村多江さんは、父が亡くなったのは自分のせいではないかと考え、10年くらい立ち直れなかったそうです。
突然倒れたということから病死と思われますが、なぜ責任を感じてしまったのでしょうか。
それは、木村多江さんが父に心配をかけたせいで、ストレスが溜まってしまったのではないか、自分が父のの一因を作ったのではないかと考えたからです。
もともと厳格な人で、学生時代から厳しいしつけがあったそうです。
高校時代は門限が夜9時でしたが、専門学校(昭和音楽芸術学院ミュージカル科)を卒業してからは、生活スタイルが180度変わりました。
アルバイトのため深夜に帰ることが多く、親に小言をいわれても気に留めず、自分のペースで生活していたそうです。
父は芸能界に進むことを反対してたことを知りながら、自分の意志を通したことで、たくさん心配かけてしまったと感じていました。
木村多江の父は海外エリートでお金持ち?
木村多江さんの父は、どんな人物だったのでしょう。
- 液化天然ガスの備蓄設備建設を担当した会社員
- 20代で建国間もないシンガポールの初代駐在所長として赴任
- シャイで、厳しくて、でも人を楽しませるのが好き
20代から海外赴任ってすごいですね。
木村多江さんは2歳半までシンガポールで育った帰国子女です。
九段下の厳格な名門学校に小学校から高校まで通っていたそうですから、父はエリート会社員で家は裕福だったことがわかりますね。
九段下といえば白百合学園がありますね!
芸能界デビューを反対したのも、大事に育てた箱入り娘だっただけに、苦労をさせたくなかったのでしょう。
芸能の道に進むことに否定的だった父親ですが、娘の活躍を実は喜んでいたというエピソードもあります。
番組には、亡き父の妹にあたる叔母からの手紙が読みあげられ、父が木村が登場した車内吊り広告がうれしくて、何度も車内吊りの電車を往復していたことなどが明かされ、涙をぬぐっていた。
引用:デイリー
実は娘の活躍を陰ながら応援していたんですね。
複雑な思いはあったものの、娘の幸せを心から願う、素敵な父親だったようです。
まとめ 木村多江の父の死因は何?自分を責めた理由も調査!
木村多江さんの父の死因は公表されていません。
倒れて1週間で亡くなるという、急死だったようです。
急死というと、心臓もしくは脳の疾患の確率が高そうです。
木村多江さんは自分が父にストレスをかけたために、父が亡くなったと思い悩み、立ち直るまでに10年かかったそうです。
父親は、木村多江さんの芸能界入りに否定的でしたが、娘の中吊りポスターを何往復して見るなど、本当は頑張る娘を応援していました。
裕福な家庭で育ち、海外駐在経験もあり、有名私立に通っていた木村多江さんは、かなりお嬢様だったことがわかりますね。