2024年秋に音楽ユニットのキマグレンが再結成することが発表されました。
キマグレンといえば、『LIFE』をきっかけにブレイクし、2015年に惜しまれながら解散しました。
キマグレンの解散理由は何だったのでしょうか?
この記事では、キマグレンの解散理由と復活のきっかけについて調べました。
キマグレンの解散理由は5つ!クレイのしくじりがヤバすぎる!
キマグレンの解散理由は5つありました。
解散理由というと不仲等が王道ですが、キマグレンの2人に関しては不仲説はありませんでした。
大きなきっかけとなったのは、アーティスト活動と並行して行っていた海の家の事業です。
キマグレン解散理由①クレイ勇輝の借金
キマグレンの解散理由の中で、一番大きな問題はクレイ勇輝さんが作った借金でした。
クレイ勇輝さんはキマグレンデビュー前から、逗子海岸でライブハウス型海の家を経営していました。
高校時代からの友人でキマグレンのメンバー、ISEKI(井関靖将)さんと一緒に始めた事業でした。
デビュー前に海の家の事業で失敗し、1億円の赤字を抱えて途方に暮れていたところ、キマグレンのデビューが決まり、アーティストとして売れて借金を返すことができました。
デビューも影響して海の家の事業は一時軌道に乗りましたが、近隣トラブルなどを理由に場所を由比ヶ浜に移すことに。
しかし移転費用などがかさんで再び事業はうまく行かず、今度は2億円の借金を抱えることになってしまいました。
自己破産を覚悟したクレイ勇輝さんは、やむなくキマグレンの解散を決めたそうです。
キマグレンの解散理由②クレイ勇輝がポジティブすぎた
キマグレンの解散理由の一つは、クレイ勇輝さんがポジティブすぎたことです。
クレイ勇輝さんは、バラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に“借金2億円のしくじり社長”として登壇したことがありました。
クレイ勇輝さんは、海の家の経営を巡り、持ち前のポジティブ思考で突っ走ってしまい、自己破産の危機を迎えることになってしまいました。
海の家の事業には、ISEKIさんも携わっていましたが、クレイ勇輝さんの楽観的な経営方針については、あまり快く思っていなかったとのいう話もあります。
キマグレンの解散理由③逗子市とのトラブル
キマグレンの解散理由の一つは、海の家の事業での逗子市とのトラブルです。
ライブハウス型海の家「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」の経営で、騒音や風紀の乱れ、杭の抜き忘れなど、ずさんな管理体制で逗子市と揉めていたようです。
クレイ勇輝さんは、2011年に逗子市議会教育民生常任委員会の議会に参加し、謝罪しています。
キマグレンのイメージにも傷がつくニュースでした。
その後逗子市では、海岸の音楽の規制が強化され、「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」は2021年に閉鎖することになりました。
海の家事業のターニングポイントとなった出来事であり、キマグレン解散へと向かう大きなきっかけともいえます。
キマグレンの解散理由④それぞれやりたいことができた
キマグレンの解散理由の一つは、それぞれにやりたいことができたからです。
ISEKIさんはソロ活動やプロデュース業、クレイ勇輝さんはプロボクサーや作詞、バンド活動、会社経営等、新しいステージに進みたいと思うようになったそうです。
「キマグレンは今年結成10周年を迎えたことを機にそれぞれの次のSTEPへ向かう為、そして個々の可能性の追求の為、解散することになりました」
引用:ORICON NEWS
キマグレンを解散した後も、ISEKIさんとクレイ勇輝さんはそれぞれの活動で成功していますから、あの時解散したことは二人にとってプラスになる判断だったのかもしれませんね。
キマグレンの解散理由⑤自由に音楽ができない
キマグレンの解散理由の一つは、自由に音楽ができない状況になっていたからです。
キマグレンというユニット名には、自由に音楽活動をしたいという思いがこめられています。
もともときまぐれで始めたユニットでしたが、次第に自分たちの音楽活動について、真剣に悩むようになっていたそうです。
話す言葉や音楽について、自分たちの知らないところでいろいろなことが決まって、誰かが作ったものをただやっているという感覚があったそうです。
当時は、本当はこうしたいああしたいという気持ちがあったはずなのに、こうしないとこう見られないと、と思う気持ちがどんどん大きくなってしまい、それで押しつぶされそうなくらい音楽をやるのが嫌になって、キマグレンをやめて音楽からも離れようと思いました。
引用:AERA dot(クレイ勇輝のコメント)
隣で苦しんでいるクレイを見ていたので、解散の話が出た時は「そうだね、もう限界だね」と思いました。自分たちのことを自分たちで決められないと人って苦しくなるきゃないですか。だったら、そこから一度抜け出してみよう、と。
引用:東スポWEB(ISEKIのコメント)
キマグレン再結成のきっかけは母の死!?実は4年前にも復活してた!
キマグレン復活のきっかけは、クレイ勇輝さんの母の死でした。
クレイ勇輝さんの母は、2023年に体調を壊し他界してしまったそうです。
母が常々「またキマグレンを見たいな」と言っていたことを思い出し、クレイ勇輝さんがISEKIさんに電話。
2人で焼き肉を食べに行って再結成に向けて話を弾ませたそうです。
解散から9年ぶりの再結成となりますが、実は2019、2020年にテレビ出演(Mステやテレ東音楽祭)に出演しているので、この期間に完全にキマグレンとして活動をしていなかったわけではないんです。
2019年には結成15周年を記念した配信限定アルバム『キマグレン-BEST OF SUMMER』もリリースしていました。
このことからも2人が不仲ではないことがわかりますね。
当時は一夜限りの復活のような感じでしたが、今回は再結成。
2024年9月1日に、材木座某所(神奈川県鎌倉市)にてワンマンライブ「キマグレン -再会と再開-」が開催されます。
キマグレンのことですから、ライブ会場は鎌倉材木座海岸(野外ステージ)でしょうか?
ライブの詳細は2024年7月17日に発表になるようです。
キマグレンのwikiプロフィールと主な活動!
キマグレンのwikiプロフィールと経歴をまとめます。
- ユニット名:キマグレン
- 活動期間:2005~2015年(2019年、2020年復活)
- メンバー:ISEKI、KUREI(クレイ勇輝)
- 出身地:神奈川県逗子市
- 結成秘話:高校からの友人→海の家経営(音霊)→キマグレンでデビュー
キマグレンの主な活動
- 2005年5月 キマグレン結成
- 2005年6月 逗子海岸でライブハウス型海の家「CLUBEACH HOUSE KANNON」を設立
- 2006年6月 逗子海岸でライブハウス型海の家「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」を設立
- 2008年2月 シングル『あえないウタ』でメジャーデビュー
- 2008年5月 2ndシングル『LIFE』 「au Smart Sports」のCMソングに起用
- 2008年11月 『LIFE』が京急逗子線新逗子駅の接近メロディに採用される
- 2008年12月 紅白歌合戦に出場
- 2011年9月 ライブハウス型海の家「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」で杭抜き忘れトラブル
- 2014年夏 ライブハウス型海の家「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」を由比ガ浜で再始動
- 2015年7月 キマグレンを解散
- 2024年6月 キマグレン再結成を発表
まとめ キマグレンの解散理由は5つ!事業失敗がきっかけだった!?
キマグレンの解散理由5つをまとめました。
音楽活動と並行して行っていた海の家の事業が傾いてしまったことにより、解散せざるを得ない状況になってしまったことが一番大きな理由のようです。
2015年に惜しまれての解散となりましたが、その後それぞれソロ活動で成功し、2024年に復活するところまで見ると、当時の解散は必ずしもマイナスではなく、2人にとって最善の判断だったのではないかと思えますね。
母が繋いでくれたキマグレンの再結成、どんな活動になるのか楽しみですね。